東京地方裁判所 昭和52年(ワ)6569号 判決 1980年9月03日
原告 金杉キヌ
右訴訟代理人弁護士 成毛由和
同 逸見剛
同 立見廣志
被告 小久保惣一郎
右訴訟代理人弁護士 岡田啓資
主文
一 被告は、原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和五二年九月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、右第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金三八四万二、七五〇円及びこれに対する昭和五二年九月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 別紙目録記載の(一)ないし(三)の各土地(以下(一)の土地を「本件畑」、(二)、(三)の土地を「本件田」、右(一)ないし(三)の土地を総称して「本件各土地」という。)は、原告の夫訴外亡金杉忠蔵(以下「亡忠蔵」という。)の所有であったが、同人が昭和三二年九月一六日死亡したので、原告が相続により本件各土地の所有権を取得した。
2 ところで、被告は、昭和二六年一一月三〇日、亡忠蔵から本件各土地を代金三万円で買い受けて所有権を取得し、或いは、これが認められないとしても、被告は、右同日、亡忠蔵から本件各土地を買い受け所有権を取得したものと信じて本件各土地の引渡しを受け、爾来、一〇年間所有の意思をもってこれを占有したことにより所有権を取得した旨主張し、昭和四四年七月一二日、原告を相手方として、本件各土地につき、農地法三条の許可を条件とする所有権移転登記手続等を求めて東京地方裁判所に訴えを提起した(同庁昭和四四年(ワ)第一二、八〇五号事件、以下「前訴訟」という。)が、右裁判所は、昭和四八年一二月八日被告の請求を棄却した。これに対し、被告は、東京高等裁判所に控訴した(同庁昭和四八年(ネ)第二、七六五号事件)が、昭和五〇年九月三〇日控訴棄却の判決が言渡され、右判決は、同年一〇月一六日確定した。
3 被告の右訴えの提起及び控訴の各訴訟行為は、被告が自己に何らの権利もないことを認識しながら、あえてこれを実行した不当訴訟であるから、これは、原告に対する故意による不法行為というべきである。
すなわち、被告は、亡忠蔵から本件各土地を買い受け又は引渡しを受けたことがなく、かつ、このことを知悉しながら、被告の実弟である訴外小久保喜八の妻訴外小久保信子(以下「信子」という。)と共謀の上、信子が土地売買契約書用紙に亡忠蔵が昭和二六年一一月三〇日被告に対し金三万円で本件各土地を売り渡した旨記載し(以下右書面を「本件土地売買契約書」という。)、次いで、被告は、昭和四四年七月一二日前項記載のとおり原告を相手方として訴えを提起し、右売買契約書を証拠として提出した。被告は、右訴訟における本人尋問の際に、本件売買契約書は、信子が、被告及び亡忠蔵の依頼を受けてすべてこれを代書した旨の虚偽の供述をし、信子の証人尋問の際にも、同女に同趣旨の虚偽の証言をさせた。これに対し、第一審は、本件売買契約書の成立の真正、本件各土地売買契約の成立及び被告が亡忠蔵から本件各土地の引渡しを受けた事実をいずれも否定して前項記載のとおり被告の請求を棄却した。被告は、自己の前記主張事実の存在しないことが第一審判決によっても明確にされたにもかかわらず、さらに、不当にもこれに対し前項記載のとおり控訴した。
4 原告は、前訴訟に応訴するため、やむを得ず、昭和五〇年一二月三日弁護士成毛由和に右訴訟事件における訴訟行為を委任し、右事件の成功報酬として金二八四万二、七五〇円を支払う旨約し、内金一五〇万円を支払ったが、残金一三四万二、七五〇円は債務を負っている。従って、原告は、右金二八四万二、七五〇円の損害を被った。
5 原告は、被告の前記不当訴訟により、訴訟係属中約六年三か月に亘って、夫死亡後、親子六人の生活の経済的基盤である本件各土地を被告に取られてしまうかもしれないという不安感にさいなまれ、また、これが原因となって血圧が上り、食欲不振、不眠等を招来し、相当の精神的苦痛を被った。右精神的苦痛を慰藉するには、金一〇〇万円が相当である。
よって、原告は、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、右損害金合計三八四万二、七五〇円及びこれに対する本訴状が被告に送達された日の翌日である昭和五二年九月七日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実も認める。
3 同3の事実中、被告が本件土地売買契約書を証拠として提出したこと、被告が前訴訟において本人尋問の際、右土地売買契約書は、信子が被告及び亡忠蔵の依頼を受けて代筆したと供述したことは認めるが、その余は否認する。被告が前訴訟において敗訴したのは、訴訟代理人の主張・立証が不充分であったためである。
4 同4の事実は知らない。
5 同5の事実は否認する。
第三証拠《省略》
理由
一 請求原因1、2の各事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、被告の前記訴えの提起及び控訴の各訴訟行為が原告に対する不法行為になるかどうかについて検討する。
1 《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。
亡忠蔵は、本件畑の所有権を昭和一一年ころ、訴外某から、本件田の所有権を昭和二二年ころ、訴外辰己平三郎からそれぞれ売買により取得した。ところで、亡忠蔵は、本件田を買い受けた際、本件田を含めて五反三畝の田を買い受け、この代金を訴外有沢仙之助(以下「訴外有沢」という。)から借り入れて支払った。このため、亡忠蔵は、右田の登記済権利証を訴外有沢に預託した。亡忠蔵は、訴外有沢に対し、右金員の返済をすることが出来なかったので、昭和二八年ころ本件田を含む右買い受けた田を訴外有沢に売り渡した。ところが、売買契約書に本件田の記載が漏れていたために、本件田については所有権移転登記手続がなされていなかった。このことは、本件田についての固定資産税等の納付通知書が右売り渡し後も亡忠蔵宛に来たことによって判明したものである。亡忠蔵は、訴外有沢に対し、右のことを告げたところ、同人も初めてこれに気付いたが、同人は亡忠蔵に対し、本件田を贈与する旨申し出た。そして、昭和二九年ころ、本件田の周囲にあぜ道を作って他の部分と区分し、これを亡忠蔵に引き渡した。
昭和三二年九月一六日、忠蔵が死亡したので、本件各土地の所有権は、同人の妻であった原告が相続により取得した(右相続した事実は当事者間に争いがない。)。原告は、本件田を昭和二六、七年ころまで、本件畑を昭和三二年ころまでそれぞれ耕作していたが、右以降は、子供の養育等に忙殺されて放置していた。ところで、被告は原告に無断で昭和三四年ころから本件各土地を耕作しはじめた。原告は、そのころ、被告と懇意にしていたこともあって、格別抗議をするようなことはしなかった。
昭和三六年ころ、被告は原告に対し、原告が亡忠蔵から相続した不動産について、相続登記をすることを慫慂したので、原告は被告の協力を得て同年一〇月二〇日本件各土地につき相続を原因とする所有権移転登記手続をした。なお、そのころ、被告は原告に対し、本件各土地は被告が亡忠蔵から買い受けたと告げたことはなかった。
右認定に反する《証拠省略》は採用できない。また、《証拠省略》によれば、被告が本件各土地を買い受けたと主張する昭和二六年ころにおける右各土地の評価額が、被告の主張する売買価額と一致することが認められるが、本件弁論の全趣旨によれば、被告は永年本件各土地の所在地近くに居住し、かつ、その附近の土地の売買価額の変動を知悉していたことが認められるので、右乙第一七号証の評価額が被告の主張する売買価額と一致しているからといって、これにより直ちに亡忠蔵と被告との間で昭和二六年一〇月三〇日本件各土地の売買契約が成立したとはいえず、従って、右乙第一七号証の記載をもって前記認定を動かすことはできないものというべきである。他に、前記認定を左右するに足りる証拠はない。
右認定の事実によれば、亡忠蔵が、被告に対し、昭和二六年一一月三〇日に本件各土地を売り渡したとは到底考えられない。
2 また、《証拠省略》、後記の事情で、被告及び信子が勝手に作成したものと認められる甲第一号証の一(乙第一八号証と同一の書面、以下「本件売買契約書」という。)の存在、《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。
被告は、亡忠蔵と生前懇意にしていたので、忠蔵の死亡後も遺族である原告家族の世話をしていた。そして、原告と被告との間に、昭和三六年一〇月ころ、原告所有の東京都足立区大谷田新町一丁目一二〇番地の土地上にアパートを建築してこれを共同経営する旨の契約が成立し、これを実行に移したが、利益の配分をめぐって不満が生じ、そのため双方折り合いが悪くなった。そこで、右アパートは被告所有地に移築することで話し合いが成立したが、右アパートを新築した際の右原告所有地への水道敷設工事費の負担について紛議が生じ、被告は原告を相手取って、右工事費の支払を求めて訴を提起した。ところが、右訴訟は被告が敗訴した。
右訴訟で敗訴した被告は、今度は、同人が、昭和二六年一一月三〇日亡忠蔵から本件各土地を代金三万円で買い受けて所有権を取得し、或いは、これが認められないとしても、被告は、右同日、亡忠蔵から本件各土地を買い受けて所有権を取得したものと信じて本件各土地の引き渡しを受け、爾来、一〇年間所有の意思をもってこれを占有したことにより所有権を取得した旨主張し、昭和四四年七月一二日、原告を相手方として、本件各土地につき、農地法三条の許可を条件とする所有権移転登記手続等を求めて前訴訟を提起し、右訴訟において、本件売買契約書を書証として提出した(被告が原告を相手方として、本件各土地につき、右のとおり売買或いは時効取得を原因として前訴訟を提起した事実は当事者間に争いがない。)。
前訴訟において、第一審裁判所は、本件売買契約書は真正に成立したことが認められず、かつ、亡忠蔵は被告に対し、本件各土地を売り渡したことがないと判示して、被告の請求を棄却し、これに対し、被告は控訴したが、これも棄却されて、結局右判決はそのまま確定した(前訴訟において、被告の請求が棄却され、また、控訴も棄却された事実は当事者間に争いがない。)。
右認定を覆すに足りる証拠はない。
3 さらに、《証拠省略》を総合すると、本件売買契約書の作成について次の事実が認められる。
信子は、市販の売買契約書用紙に、亡忠蔵が昭和二六年一一月三〇日本件各土地を被告に対し代金三万円で売り渡した旨記載し、さらに、売主欄及び買主欄にそれぞれ金杉忠蔵、小久保惣一郎と記載して、右契約書を作りあげた。ところが、本件田の所在地は、足立区長門町であるのに、右契約書には、足立区大谷田町と記載されていること、右売買契約書用紙が比較的新しく到底昭和二六年ころ市販されていたものとは考えられないこと、信子は、本件売買契約書の作成日付である昭和二六年一一月三〇日当時は一九歳であって、被告の実弟小久保喜八と婚姻する約七年も前であり、そのころは、亡忠蔵及び被告に右契約書の代筆を依頼されるような間柄ではなかったこと、亡忠蔵及び被告は自己の氏名を自署できたことがそれぞれ認められ、また、亡忠蔵名下の印影が同人の印章によって顕出されたことの証明はない。
右認定の事実に、前記1、2の事実を併せ考えると、本件売買契約書は、被告と信子が共謀の上、偽造したものと推認するに難くない。《証拠判断省略》
ところで、一般に、訴えや控訴の提起等の訴訟行為は、客観的に理由のない場合でも、形式的要件を具備しているかぎり、手続としては適法にこれをなし得るが、右訴訟行為をする者がその行為時において、客観的実体的にはその理由のないことを知っているにもかかわらず、あえて、その訴訟行為をし、これによって相手方に損害を与えたときは、実質的に違法との評価を受け、このような場合には、右行為者は不法行為責任を負うものと解するのを相当とする。これを本件についてみると、右認定の事実によれば、被告は、前訴訟における自己の主張が客観的実体的に理由のないことを知っていながら、あえて、訴えを提起し、また、控訴した行為は、実質的に違法との評価を受けざるを得ず、従って、右行為は、原告に対する不法行為を構成するものといわなければならない。
三 《証拠省略》を総合すると、原告は、前訴訟につき、弁護士成毛由和に訴訟行為を委任し、報酬として金二八四万二、七五〇円を支払う旨約し、内金一五〇万円を支払ったが、残金一三四万二、七五〇円は債務を負っていること及び《証拠省略》を総合すれば、前訴訟の確定時における本件各土地の価額が金二、一五二万七、五〇〇円であること、東京弁護士会報酬規定によれば、前訴訟の手数料及び謝金の合計額は右金額の一〇パーセント前後であることが認められる。
右事実に、本件弁論の全趣旨によって認め得る前訴訟の難易度及びその他諸般の事情を考慮すると、原告は被告に対し、右弁護士費用の内金一五〇万円の限度でその賠償を求め得るものというべきである。
次に、《証拠省略》を総合すると、原告は、前訴訟の係属していた約六年三月もの間、親子六人の生活の経済的基盤である本件各土地を被告に取られてしまうかもしれないという不安感にさいなまれたこと及び前訴訟の場合、被告は、証拠書類を偽造し、国家機関をだましてまで原告の本件各土地を奪おうとしたこと等を考慮すると、被告の前記不法行為により原告の被った精神的苦痛を慰藉するには、金五〇万円が相当である。
四 以上のとおり、原告の本訴請求は、被告に対し、右損害金合計二〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五二年九月七日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法九二条本文、仮執行の宣言につき、同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 永吉盛雄)
<以下省略>